ブログ一本化&引越しします
気に入っていたこのブログ。いろんな意味で気に入ってました。 しかし、先日のトラブルで気持ちも変わり、アメブロに引っ越すことに致しました。
今度は表も裏もなく、1本でやっていきます。
気持ちもそんな感じです。
お気に入りに入れてくださっている方、お手数ですが、変更してくださると嬉しいです。いや、お願いします。
紆余曲折の私ですが、どうぞよろしくお願いします。
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「40代はまだ間に合う」
これは先日美容評論家が言ってた言葉。内容はこう。40代の体や肌は、やはり若さを失いつつあり、衰えを隠せない。しかし、今、努力することで、何とか復活できるのも40代の良いところだと・・・
私は、ここ10年ほど、年齢より若く見られる傾向がある。最初はお世辞や頭の軽さが若く見えるのだろうと思っていたが、豚もおだてりゃなんとかで、次第にその気になっていた。そして、若く見えることに胡坐をかいていた。
40歳になり、あれれ・・・と思うことが増えてきた。この顔の点てん、汚れ?っと擦ってみるも、全然取れない、だってだって、シミだから。
オバサンが二の腕を「振袖」って振り回すのを見た事が・・・なら、私のこれって、プチ小袖?なんてことがやってきた。そして、最近、これはまずいよ!っと思うことが続いてる。
百貨店の煌々と明るい蛍光灯の中、鏡に映る自分は格好の若いオバサンだった。入線してきた電車に映る自分の顔は「えっ?故障?」みたいな顔だった。
そして、私は先日から足掻き始めた。○○トレーニングなるものをいくつか始めている。
「中年」と言う魔の響きはアラフォーと呼ばれるように変化した。しかし、中年の兆候がなくなったわけではないだろう。
外見より中身だと人は言う。しかし、周りを見渡してみて欲しい。同じ歳でも全く違う。雲泥の差の人もいる。それは、生き方や努力なんかが反映していると私は思う。
お客様で20代前半の女の子が多い。私は「先生」と呼ばれても、どこかで「妹たち」っと思ってた。だから、「ゆりさん」と呼んでくれることが先生より嬉しかったりするのだろう。
しかし、先日気がついた。「この子達、私の子供でもいいんじゃない?」ゲッっと恐ろしくなった。(嫌だ嫌だ~
)
「ストップ・ザ・老化!」と言うより、あともうちょっと、「お姉さん」でいたい私である。ずうずうしくってゴメンナサイ!
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仕事って思わぬことでやってくる
かなり、想定外にやってくる!
今日、資格も経験もないことで、報酬
を頂いた(しかも前払い
)
それは、一度は目指した方向性
そして、諦めてしまった仕事・・・
「やりたい!」ってピュアに思う気持ちは実現する。「やった方がいいよなぁ」ってことはあんまりうなくいかない。それは、いつも思うこと。
例えば私の場合、「3ヶ月に1回温泉に行く」って目標はいつも達成しない。しかし、「あの著名人に会いたい!」は簡単にポン!っと実現した。
それは、パッションの違い。または、「頭で考える願い」と「お腹から湧き出る想い」の違いかも。
今日、自分の持っているものを評価してもらったような気になった。使っていなかった能力を高める機会をもらった気になった。
頑張るぞ!っと気合が入った。結果を出すぞっといつもの癖が出た![]()
そんな風に、チャンスは想定外にやってくる。まるでプレゼントのように![]()
逆に、今朝、苦い経験と教訓を得たところだった。
実は、昨日、願った想いが3日でやってきた。私って凄い!って想ったのはつかの間だった(2秒くらい)自分の準備不足でダメになったから。その体験はこちらに書いた。チャンスを逃したくない人、お役に立てば幸いです。
まさに、陰陽?これって何?
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キング・オブ・ポップと呼ばれたマイケル・ジャクソンとチャーリーズ・エンジェルとして輝いたファラー・フォーセットが亡くなった。このニュースで、またひとつの時代が終わったような気持ちになった。
私にとって、彼らは「新鮮な風」そのものだった。
マイケルを初めて見たとき、私はムーンウォークに釘付けになった。今まで見たことのない動きだった。秘かに、ピカピカの床を見つけると練習なんかもしてみたが、全くもって、似ても似つかないものであり、「ムーンウォークができる!」と自慢する友達に、「見せて~」と懇願したこともあるが、ギャグにもならないできばえばかりだった。
ファラー・フォーセットは私にとって憧れの女性だった。ティーンエイジャーな私は、彼女の髪型がしたくて、したくてしょうがなかった。美容院に、何度か彼女の切抜きを持って行ったこともあるが、「パーマをかけないとダメ」っとか、「外国人とは髪質が違うからダメ」などの理由でいつもの三つ編み少女で終わっていた。(その前に校則で無理だけど)
しかし、私は彼女に憧れ続け、毎月「ロードショー」と「スクリーン」と言う映画雑誌を買い続けた。なぜ、同じジャンルの雑誌を二冊買うか?答えは付録がどちらも捨てがたいから。(ファンレターのあて先とか、豪華カレンダーとかがついている)中学生の私には手痛い出費だったが、海外スターの虜になっていた。
加えて、彼女は私が始めて涙したラブ・ストーリー「ある愛の詩」の主演、ライアン・オニールと付き合っていた。彼もまた、憧れのテータム・オニール(リトルダーリングの主演=女子高生のひと夏の恋、いかにも女子校の生徒が喜びそうな映画)のパパと言うところも私を釘付けにした。(ちなみにテータム・オニールはマイケルと付き合っていたことがある)
紆余曲折の末、ついにライアン・オニールと彼女は結婚した。癌と闘う彼女を支えたのも彼だったらしい。結婚を拒み続けた彼女が亡くなる何日か前に結婚を承諾したのはどんな気持ちだったのだろう?
愛する人に看取られて亡くなった彼女、やはり最後まで私の憧れの女性かもしれない。
今日、エンジェルとキングが天国へ。最近の天国はどんどんゴージャスになっている。
お二人のご冥福を心からお祈りします。安らかに・・・
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今、南の方から「総裁選に出せ!」との声が小躍りしている。テレビっ子でない私でも、その話題で持ちきりなことがうかがえる。
その光景を見て私は思う「自分を高く売る」ことの必要性と傾向を。
自分を高く売ることが苦手な私には、ちょっと憧れたり、疑問に思ったり、これに泣いた経験もある。
私は年俸制の仕事をしていたことがある。毎年、自分の年収を人事と交渉するのだ。当然、会社側の提示金額は納得に値せず、自分の業績をアピールし、交渉する。プロ野球選手のしょぼい版である。
毒舌家と称されることのある私も、ことお金と自己評価に関して影があり、結局は「お前の頑張りは誰もが知ってるけど会社もしんどいねん。来年上げたるから辛抱してくれよ。」との言葉に負け、つまらない悪態をついて印鑑を押す。こんなことの繰り返しだった。
しかし、あるとき知った、同じ仕事で同じ立場で、売上げの構成比も金額も低い隣で働く彼が私よりも100万円以上多くもらっていることを!私は愕然とした・・・なんで???
答えは、彼が自分を高く売っていたからだ。自分がいかに凄いか、自分がいかに貢献しているかを強気に語り、会社の状況なんて関係ないと突き放した結果、得た金額らしい。(本人談)
私は、今年こそ、このことを盾に交渉してやる!絶対に会社の事情なんて言われてもゆずらないぞ!っと鼻息荒くテーブルに着くが、結局抵当に丸め込まれる。
そして、ある年「今度こそ、必ず責任を持って年俸を上げてやる」との約束を取り付けた。加えて、私の不遇を見かねていた次期上司からも、「来年の交渉時には自分も口ぞえするから」と嬉しい言葉をもらっていた。私に希望の光が見えた。
しかし、その交渉の時を待たず、会社は潰れた![]()
そして、モノを売ることから、形のないものを売ることになった私。
自分を高く売る人、安く売る人の明暗を見る機会が山ほどある。
自分を高く売る人は、どんどん自分の描く生活を手にしている。そして、自分を安く売る人は、いつもお金がないと言っている。
この両者を見て、そこに能力の差は感じない。多くは後者の方が能力があると感じることがある。
しかし、前者には自分を高く売る能力がある。自分を高く売ることで、人にも良い効果を生んでいる。それが対価なのかもしれない。
幸せが、自分が幸せと思うとついてくるように、自分を高く売ることは、自分をさらに高いステージに上げていくのだろうと私は思う。
やっぱり、思ったようになると言うのは現実なのだと私は思う。(こんな着地点でスミマセン
)
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アクエリアス(水瓶座)の時代に入り、早10年近くが経とうとしている。
「アクエリアスの時代は見えないものや、形のないものが尊重される。」
オーラソーマの認知度も低く、先が見えなかった頃、私はこの言葉に期待した。その言葉の通り、あっと言う間に、駅ビルにクイックマッサージ店が立ち並び、今ではサラリーマンのオジサマでさえパワーストーンを身につけるようになった。
まさに、心の時代の幕開けである。
しかし、心は、ふにゃふにゃと形を変える。昨日まで元気にしていた人が急に壊れる瞬間がある。妻子もある男性が、心療内科で足踏みし、硬直している光景を目にしたこともある。支える妻と子供の表情が心に刺さった。きっと、つい最近まで元気に大黒柱として働いていたのだろう。
人は大きな出来事があった時だけつまずくわけではない。何の変哲もない言葉や出来事が、知らない間に心にヒビをつくる。そして、ありふれた出来事をきっかけに、心は音を立て壊れていく。
心が壊れる恐怖とは、登っていた階段が急に消えてなくなったように感じたり、この世の中で自分は全くの一人だと思い知る時に似ているかもしれない。こんな時、「人間、生まれる時も死ぬ時も一人」なんてフレーズは言わない方がましかもしれない。一人である事が恐ろしく不安で、死ぬほどの孤独なのかもしれない。
同じく「呼吸することは生命の根幹です。まず呼吸を深くしてください」なんて言葉も、机上の論理の最たるもので、紙くずと同等の代物かもしれない。当事者にしたら、出血多量で死にそうなのに、「香りは心に良いですよ」っと言われているようなものだろう。
でも、心は結構大きかったり、丈夫だったりもする。ふとした一言や、簡単な行動で、無事に生還することができる優れものである。
心が元気でいる方法・・・もっと大事なものを、私は知る必要があるのだと思う。
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タイトルの牧子とは作家の内館牧子さん。わかりやすく言えば、いつも朝青龍に「品格がない!」っと怒っている横審の牧子さん。
私は若人な時から結構彼女のドラマが好きで、ちょろっと本も読んでいました。そして、彼女の著書の中で、「この人、好き!
」って思ったのが以下の一文。
『私は、自分の行動を、粋か、粋でないかで決めることにしている』
これは、去っていく男にすがっても無駄!的な話の中で出てきた一説です。
確か、30歳になるか、ならないかの私には、とっても衝撃的な一言で、「私は物事の基準を粋か、粋でないかで決めるぞ!」っと誓ったのを覚えています。
そして、時は流れて私もアラフォーに(この言葉のお蔭で「中年」と言う単語が忘れ去られて嬉しい私
)
先日、ある作家の先生からこんな風に指導を受けました。
「文章をうまくなるコツは、好きな作家の作品をまるごと書き写すこと」
それを聞いて考えました。え~、私って誰が好き?谷崎潤一郎だけど、時代違うし、私、耽美主義違うし・・・なんて思いつつ、思いついたのがヨーダとか悪口言われている牧子ちゃん。
慌てて、本棚を探るといくつかの牧子本。中をあけてビックリ。私が原稿で書く文体、僭越ながら似ていました。似てるって「である調」なだけだけど。
知らず知らずのうちに好きな人に近づくのか、近いから好きなのか?
とにかく、作品を書き写すことで、感覚や視点がつかめるとのこと。つまりNLPで言うモデリング?もちろん、読むだけではダメ、自分の手で書かないとダメらしい。
「粋に生きる」生き方の先生も牧子ちゃん、文章の先生も牧子ちゃん。私もあと20年したらヨーダって呼ばれるのかしら??
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「AかB、どちらにするべきか」って迷う時、結構ありませんか?
イタリアンかフレンチで悩んだり、A君かB君で悩んだり、結婚か仕事で悩んだり・・・
小さなことから大きなことまで、人生は選択の連続です。
そして、先日私も、二者択一で迷いました。
テーマは、「2時間の勉強会の為に東京へ行くか行かないか?」
こんなにあちこち動き回る私でも、プライベートで関西圏以外に行くってかなりハードル高いのです。加えて、この日は魅力的なお誘いもありました。
で、前日の朝、ベッドの中でやってみました、手抜きNLPを。
まず、左手に新幹線を持ち、右手にカフェを持ちます。(もちろんイメージで。ちなみに、カフェはお誘いの象徴です)
そして、自分の両手の感覚を見ます、感じます。
すると、どんな感覚かを感じる前に、もう自分の目が、意識が、感覚が、左手(新幹線)にしかいってないのです。その瞬間、1ヵ月悩んだことが、一瞬にして晴れ、「私は本心では東京へ行きたいのだ」っと気づきました。
そして、「じゃ、チケットを取ろう!」っと立ち上がった瞬間、先生からのお電話が・・・「たまには東京に来なさいよ」っとの有難いお誘い&ダメ押しの食事に釣られ、いそいそと行って参りました。
もちろん、行って正解!実りあるお話と勉強会、そして美味しい食事を満喫しました。
こんな風にモチーフをイメージするだけで、心が望む選択ができるのです。
ぜひ、みなさんも一度お試しくださいませ。
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人それぞれ、「生き方」があるように、「逝き方」もあるのだ・・・と叔父の死を通して考えた。「逝き方」は「生き方」が作る最後の見せ場だと思えてきたりして。
誰にでも訪れる最後の時。どう生きるかを考える時、どう逝きたいかが遠くに揺れているように思う。
私には理想の逝き方がある。それは、ドラマで見たシーン
2002年、天海祐希さんと三上博史さんが主演の夜メロ「薔薇の十字架」で、天海さんが逝くシーン。ここでは憚られるので敢えて書かないが、こんな逝き方がベスト!っと思った。そして、今も思っている。(別のブログでこのサントラを強く紹介しているので、ぜひご覧くださいませ
)
話は戻って、どんな逝き方をしたいかをイメージした時、自分は今、何をするべきか、これからどう生きるのか、おのずと答えが出てくるのではないだろうか?
それを考えた時、私は、「自分の気持ちに素直に従うことが大事」ってヒントがおりてきた。
より良く生きるため、あなたもちょっと考えてみませんか?
今使える、大事なヒントが降りてくるかも![]()
衣食住ブログ
http://ameblo.jp/airfeel/
アートブログ
http://blog.livedoor.jp/bijinseiairfeel-muse/
M&W系
http://airfeel.blog57.fc2.com/
四方山話
http://bijinseidesign.cocolog-nifty.com/blog/
セラピストブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/airfeel/
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今日は母の検診日。癌が再発していないかのチェックです。
術後から4年経ち、抗がん剤を飲み続けるのもあと1年となりました。副作用もあるので、早く解放されるといいなぁっとしみじみです。
思えば、私のNG期はとても激しく、台風と地震と戦争が1度にやってくる感じがありました。4年前、両手、両足をもがれて、上から200キロくらいの重石を落とされたようなショックを受けた日、私は千里中央にいました。
にぎやかな広場の片隅に、古ぼけたベンチがあり、そこに半日座り込んでいたことを覚えています。誕生日前日だったから気温は30度くらいあったかも。
嵐が過ぎても、そのベンチを見るたびに、「私ってあの時悲劇的だったわ」っと思い出していましたが、その後大規模な開発があり、その場所の余韻は皆無になりました。
母の経過も順調で、再発の可能性もグンと減った様子。この4年、いろんな事がやわらかくなっているんだなっと感じた1日でした。
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